——14年ぶりに『2017・待つ』をやることになったいきさつを教えてください。
岡田 蜷川さんが亡くなったとき、斎場から『尺には尺を』(以下『尺尺』)の稽古場に向かう電車の中で、(大石)継太と、俺たちこれからどうしたらいいんだろうって話をして、そこから『待つ』をやろうってことになって。スタジオ公演でやっていた『待つ』は基本的にスタジオのメンバーの全員参加だったけれど、今回はとりあえず『尺尺』に出ていたメンバーに聞いてみようってことで、徐々に声をかけていったんだよね。
妹尾 『尺尺』大阪公演の打ち上げで酒を飲んでいたときだったかな。
岡田 そうそう。最初、個別に話していって、最終的に打ち上げで、プロデューサーの渡辺弘さんにさい芸でやらせてもらうという話にまでまとまった。
飯田 俺が印象的だったのは、大石さんのテンションが、いままでの大石さんらしからぬ、異常に高かったこと。ふだん言い出しっぺになるようなイメージではなかった人が、すごく強力に「やろうよ」って言うのは珍しいなあと思った。
岡田 それは酔っていたのもあったのかな。
堀 僕は『尺尺』には出ていなかったから、観に行ったときに大石さんと飲んだら、彼がいい感じにお酔いになられてテンションが高くなったところで、「『待つ』をやりたい、『待つ』をやりたい」(継太さんの声真似ふう)ってしきりに言っていましたね。
飯田 ただ、『待つ』をいまやるとして、14年分、歳をとっているから。そのことはたぶん、大きく関係すると思いますよ。作品選びとか演技とかのニュアンスが変わってくるかもしれない。

——最後にやった『2003・待つ』はどんなものでしたか。
妹尾 俺は出てない。京都にいたから。
新川 僕たちは、蜷川さんが撮った映画『嗤う伊右衛門』に出ていたから。
岡田 清家さんも出てないよね。「蜷川さんが演出しないから今回出ない」って言ったことを覚えている。

清家 ごめん、全然覚えてないわ(笑)。
岡田 あの頃、蜷川さんから電話があって「尊晶がやるっていうからやってくれ」って言われたからね。
井上 それ僕知らない、ヘー。ああ、そうなんだ……。
堀 装置のジャングルジムのなかではやりたくないって意見が多く出た公演でしたね。外でやればいいんじゃないのっていう(笑)。
飯田 ジャングルジムの素材が鉄パイプで、太くて中の演技が見えないじゃないかという不安があったんだよね。それで、明石(伸一)さんと直径20ミリくらいの細い棒を見つけてきて、それで芝居が見えるようになったんだよ
井上 元々は、金子(岳憲)くんが、スタジオの課題のエチュード発表で、ベニサン・スタジオの中に立てられるだけの高さの垂木のジャグルジムをつくって、ボルヒェルト作『戸口の外で』を演じた。それをみんなが面白いねって言ったことからはじまった」
妹尾 そういや、エチュードのとき、金子にジャングルジムをつくらされたな。

岡田 そのとき、ふだんあまり何も言わない(野辺)富三が、竹ひごで精密にジャングルジムの模型をつくってきたよね。こんなことをやる人なんだってそれはそれで感動したなあ。
堀 みんな煮詰まったときに野辺さんに意見を求めると冷静にちゃんとしたことを言ってくれるんだよね。
新川 富三、ここで、しゃべったほうがいいぞ(新川と野辺は仲がよく、おとなしい富三を新川がかわいがっていたという証言あり)。

——野辺さんは工作が得意なんですか。
野辺 ええまあ、好きです。
新川 “かえるくん”も、自分でつくったんだよね
野辺 はい、かえるの扮装をつくりました。
堀 『かえるくん、東京を救う』(村上春樹)ってその年?
野辺 『2001・待つ』です。
清家 『かえるくん』は僕がエチュードで発表した作品で、野辺ちゃんをかえるにしたいっていう思いが最初からありました。それも着ぐるみじゃなくて、質感のあるものにしたくて、どうやってみせるからなと思って任せたら、ほんとうにかえるに見えたんですね。頭もスキンヘッドにしてね。あれは面白かった。
新川 富三のカラダ中にかえるの塗装をするために、楽屋中が緑色になった。ドーランだけで5000円も使っちゃって。
野辺 皮膚呼吸ができなくなるから、2時間で稽古を終了しないといけなくて。
岡田 着ぐるみを作ったほうが良かったんじゃないかっていう(笑)。
飯田 ある日突然数ページの台詞の追加ってなかった? かえるくんの台詞だけ。
野辺 明日の朝やってできなかったら、この作品カットって蜷川さんに言われて、その夜、家に帰って寝ないで覚えました。
飯田「おれがもし黒澤明だったら、一晩で覚えてくるだろう」って蜷川さんが言っていた(笑)。
清家 『かえるくん』の上演許可をとるために、ツテのない僕に代わって蜷川さんが連絡とってくれたんですよね。
飯田 『KITCHEN』をやったとき、蜷川さんは、この戯曲を全部やっても面白くないけど途中で嵐のように注文が増えて、調理場の喧騒が激しくなるシーンだけは絶対に面白いって言って。
妹尾 それでシーンを大幅にカットした。
堀 妹尾さん…妹尾じいがカットしたんですよね。あれがめちゃくちゃ面白かった。

妹尾 そう我ながらうまいカットだった(笑)。『KITCHEN』は人種問題の話だからその日本人には理解しづらい部分をカットして、注文とるところとつくるところだけに絞ったの。
飯田 たくさんの人種が出て来るなかで、中国人と日本人と朝鮮人だけ残して(笑)。
——『待つ』の思い出を教えてください。
飯田 小道具やセットを全部吊ったのが92年。
妹尾 大変だった、あれ。
飯田 仕込みのときに、テレビのモニターが妹尾さんのところに落ちて、死ぬかと思ったっていう。
妹尾 もう30センチずれていたらやばかったね。ベニサンの天井に簀子に板を敷いて、そこを渡って作業をするからけっこう大変だったなあ。
井上 そもそも吊ることにしたのは、『ツイン・ピークス』に出てくる女性ボーカルのデヴィッド・リンチが演出したコンサートのビデオか何かで、吊り物があって、それを蜷川さんが面白いと思ったのが元だったはず。
飯田 エチュードで僕らがつくったアイデアだけでなく、蜷川さんが商業ベースではやりきれないアイデアをもっていたので。スタジオはそれを実現させる場所だった。
妹尾 火を点けたポケットティッシュを舞台に撒いたことがあったね。
堀 継太さんと(鈴木)真理さんのエチュードね。
(その他、マヨネーズを一本吸う、サランラップをカラダに巻いて胎児が女性の体内から出てきて鉄扉の外に転がっていく、上からキャベツが落ちてくるなどユニークなアイデアの数々について次々語られる。『待つ』以外の公演についてもいろいろ語られました。それらはベニサンという元工場だった建物だからこそ可能になったというようなお話も。このへんの細かい記憶についてゆくゆく改めて検証していきます)。

——アングラだったんですね…。
妹尾 超アングラ(笑)。
岡田 そういうことにリアリティーを求めていたような……(笑)。
飯田 キャベツが落ちてくるのは、すごかったよね。女性が3人、順番に出てきて苦悩を語る話で、3人目が女装した岡田さんで、そこにドーン!とキャベツが落ちてくる。
——それは蜷川さんのアイデアなんですね。蜷川さんと一緒にアイデアを出し合って実現していく作業は楽しそうです。
一同 地獄だよ!(笑)

堀 1月半ばに公演、秋から稽古がはじまって。それぞれが考えたエチュードを発表して、合格できないとまた作り直す、その繰り返しで。
新川 しかも、合格したからって出られるとは限らないんですよ。合格した人を紙に書いて稽古場に貼ってあるんだけど、蜷川さんが、それを丸めて捨てたこともありました。
堀 飽きちゃうんでしょうね。
飯田 作品だけ残って、つくったひとが出られないこともある。
新川 僕が出したエチュードで合格したのはスローモーションだけ。井上陽水の『最後のニュース』を流しながらふんどし一丁でスローモーションするっていう(笑)。それでも、なぜかたいていどこかの作品に入れてもらえていた。こうして、出る人、出ない人がはっきり分かれてきて、出る人は早く来て稽古して、出ない人は、鉄扉開けるのを手伝ったり裏の仕事をしたり。あれはおもしろい縮図だよね。
妹尾 おれ、舞台監督やっていたもの(笑)。
堀 スタジオの名前もよく変えていたね。
清家 最初は「蜷川教室」からだからね。蜷川さんが若い俳優をはじめて演劇教室のようなことをやっていて、それが『タンゴ・冬の終わり』(84年)を経て、GEKISHA NINAGAWA STUDIO が立ち上がった。
飯田 「ヤング・ニナガワ・カンパニー」って名前でハンコをつくり直すのが恥ずかしくて(笑)。
堀 でも誰もツッコめない(笑)。

——いろいろあっても皆さん、よくぞくさらずに。
一同 くさったくさった(笑)。
井上 あの頃の演出家は屈折していますよ。いま、蜷川幸雄という演出家は社会的に認知されているけれど、たぶん、スタジオに古くからいるひとたちとは、そことはちょっと違う、ちょっとアウトローなところで生きていたんじゃないかな。
妹尾 そうだねえ。
井上 スタジオ公演には出るけど、蜷川さんの商業演劇には出ないっていう人がいたくらいで、変わったひとが多かった(笑)。
清家 面倒見もいい人で、スタジオの旗揚げ公演『稽古場という劇場で上演される三人姉妹』のとき、僕はピアノを弾かなきゃいけなくて、子供の頃弾いたきりだったので勘を取り戻すために毎日練習しないといけなくて。蜷川さんの家にピアノがあるからって泊まって練習させてもらいましたよ。
——今度の『待つ』も、今出たようなアングラな内容をやっていくのでしょうか。
岡田 いろいろやりたいことはそれぞれあるけれど、今回は9人が全員出るものをやりたいと思っています。それこそに意味があるのではないかなって。9人が揃うことはほんとに最後になるかもしれないから、がっつりやりたい。
——ほかに俳優のプラスアルファの可能性は?
岡田 作品に合うひとがいたらその都度声をかけていこうと思います。声をかけてない人たちに他意はなくて、今回の面子は、蜷川さんにとって最後の公演『尺尺』がこのメンバーだったからってことだけで……まずはこの9人を核にしてやってみたいと思っています。
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