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  "ベニサン最後のエチュード"



 

2008年12月2日。ベニサンスタジオの5階。ニナガワ・スタジオ稽古場で、
この場所では最後のエチュードが行われた。11月25日に稽古場から荷物はすべて撤去され、文字とおり何もない空間になっていた。演劇用の大道具小道具の数々がなくなった空間は、25年分の傷や染みや穴が際立っていた。卵をぶつけた染み、雨を降らした染み、道具を引きずった傷、壁にカラダをぶつけた穴、ペンキの飛沫……すべてが、ここで行われたエチュードの痕跡だ。


 午前11時から15時30分まで、12本のエチュードが行われた。
 最後のエチュードは、市川なつみによるひとり芝居、清水邦夫作「救いの猫ロリータはいま」。冬の日が早く落ち、薄暗くなった空間に声が響く。

 

ああ、あたしの青春時代は美しいものでした、あの頃はほんとうによかった、もちろん罪や哀しみはすでにひそんではいましたが、でもあれはまがいもなく、しあわせな日々でした、あんなふうに熱いグラスをのみほし、あんなふうに踊り狂い、あんなふうに愛を信じた娘は、そう多くはないでしょう
『救いの猫ロリータはいま』(河出書房新社「清水邦夫全仕事1981〜1991」より)

 最後の最後でこの戯曲をやることになったのは偶然。新人から優先してエチュードを見てもらうことになっていたため、中堅の市川作品は最後にまわされた。彼女がこの作品を選んだのは、「最初に蜷川さんに見てもらったエチュードをもう一度やってみようと思った」から。

 

 

それまでのエチュードを見て、厳しい発言を飛ばしていた蜷川は、最後のこれに「良かったね」と言った。
「良かった 良かった 良かったよ あんまり入りすぎないで」
「泣いてしまうんです」
「のめりこみすぎるとよくないよ 良かった 良かった」
「ありがとうございました」
「これくらいのレベルがそろえばいいんだけどな」

 スタジオの者たちと並んでエチュードを見ていた蜷川は、向きを変え、
皆に向き合った。
「もう一回くらい集まらないといけないと思う。それはさいたま(彩の国さいたま芸術劇場)になるかどこかわからないけど、今後のこともふくめてなにかいい方法がないか(話し合おう)」

 会費はゼロになってるのか? じゃあ当面ゼロでいいや。
 関わってなきゃダメなのもわかるし、
 形態を先行しない形で、必要な人間は必要な時に集まってくるというような
 形態はこれからいくらでも考えられる
 そういうことは実は問題じゃない
 やろうとする志と知恵を使えば
 こわいものは実は何もない
 前途を憂うこともない
 自分に才能あるかないか、だけでしょう
 虚飾を捨てて小さな野心も捨てて、
 本質だけがあればいい
 最悪売れなくても、一坪の土地とひとりの俳優がいればいい
 とおれは思ってるから
 場所があるのは良いことで捨て去るのは残念だけど

 成り行きだな
 成り行きを作るのは、意思と才能以外にはない
 
 今日はこれまで。

 次はさいたま。
 あとかたづけやって
 飛ぶ鳥跡を残さず

 終了。

「じゃあな。おつかれ」

コートを来て鞄を肩にかけ出ていく蜷川を追いかけた。
「しゃべることないよ、もう今しゃべったから」
――ベニサンのほかに、コマ劇場やシアタートップスが閉館します。演劇人として劇場の閉館についての考えを伺いたいんです
「ベニサンはさ、初期の頃、日本の売れてる演出家は誰も使ってないんだよね。ここの良さに注目したのは、外国の演出家と、ぼくくらいなんだ。つまり、はじめから孤立した空間で、今回の閉館は、孤独に出発した劇場が孤独に帰ったってことだと思う。
 今は、価値のある劇場だって言われているけど、最初にいいと思った人はいない。それが日本の文化だよ。
 孤立に出発したベニサン・ピットは時代と共に幕を下ろしたんだ。 
 ぼくはなんでつかわないのかなって思ってた。初期に誰が使っているか調べてみればわかるよ」
――蜷川さんの提案ではじまった劇場で、蜷川さんはなぜお別れ公演をやらないのですか?
「やろうと思ったけど、スケジュールがなかった、急で」
――蜷川さんは、やろうと思えば一週間で公演ができるとおっしゃっていますし、たった1日でも何かやれなかったのですか?
「まあ、でも、まあ、でもやらなくていいかなあ。つまりここでお世話になって世に出てきたわけだけど、荒れ果てた日本でさ、もうこういう大事な空間は手放しちゃったほうがいいってことかな」
――荒れ果てた日本?
「荒れ果てた日本だよ」
――その荒れ果てた日本を蜷川さんはーー
「容認してるから演出してるんだ。
 現実にはさ、ここがなくても仕事ができるからさ…
 そういう時代に突入したんだよ。
 80年代にブームだった下北沢などとは関係ない空間でやってきて、ここがなくなってもやれる強固なものを手に入れたから。
 それに、後を振り返るみたいなことをやることはないかなって」

――今度、埼玉で若者の演劇のオーディションをやられ、そこから新たな劇団を作るのでしょうか? それもいいですけど、自治的な集団も魅力的に思いますが。
「時代が変わってきたからさ。コミュニケーションのありかた、集団のありかたが変わってきたと思うよ。そのことのほうが重要だと思う。資本主義の末期のような、金融資本主義が圧倒的にのさばっていく中で、いろいろなものが崩壊していく。その中で、したたかに形態を変えながら、生きていくしかないでしょう」
――25年前のエチュードを私は見てないですが、今と違うんだろうなと思います。
「違うよ、全然違う。
  世界が変わったんだよ。
 つまり、変質していくことは当然のことで、拒絶することと受け入れていくことと、現場を放棄しなくて、極めていくことが大事なんだ。演劇人として延命したいんじゃなくて、そういうことと関係なくかいくぐっていくことしかないわけで。場がなくなることは今までもあったし、惜別の情があるけど、そういうことで失うものはない。
 その分、今まで、それだけ涙をのんできました」
――文化遺産を残そうという活動には興味はない?
「都市開発でなくなっていくのはしかたない、いいよ、我々は違うところで場を作るからという気持ち。
 演劇は容れ物に支配されているわけじゃないから。根源的なラジカルなことはどんな劇場でもできる」
――公共劇場でもラジカルなことを?
「それはやらないよ。まあ、それは、作品の軌跡が自ずと明らかにしていくでしょう。『表裏源内蛙合戦』なんて、衣装が400枚近くあるんだよ。ふつう、やらないでしょう。十分ラジカルなことをやっていると思うよ。見た人がそれをわかるかわからないか、自分で宣伝するかしないかは別で、わかる人が見たらわかると思う。
 ぼくは黙ってやるだけだよ」

 帰っていく蜷川を、下駄箱まで追いかけ見送るひな鳥のようなスタジオの若者たちを振り返り、蜷川は「これで終わりじゃないんだから、大切なのは、関わりたいという思いでしょう。いくじなし!」そう声をあげて、扉を開けて、出ていった。

 年が明けた。
 2009年1月。
 スタジオをやめた人もいる。新しい公演のオーディションを受けている人もいる。
 このサイトのスタジオリストはこの2年間で何回書き換えられただろう。

 蜷川幸雄は、『冬物語』の本番と、新たな若者プロジェクトのオーディション、ゴールド・シアターの稽古に立ち会うため、朝10時から夜21時まで劇場にいる。もうすぐ新たな作品『ムサシ』の稽古もはじまる。

   

                                2009年1月25日 ベニサン・ピット閉館の日
                                                  木俣冬

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